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神様は道徳の中枢神経

仕事柄、「自由と責任」は
これまで文科省の道徳の指導要領の中の
価値項目の一つとして指導してきた。

暮らしの中で、自由になんでもできる部分があるが、
その中にはその人が背負うべき
責任があるということなのだが、
自由の基準は人それぞれで、判断はわかれる。
また、責任の取り方も人によって違う。
そのことを、価値観の多様化という
便利な言い回しで納得させている。

亨進様は御言の中で、
自由に生きることが
神様が一番喜ばれることである。
全て、自然の万物から
暮らしに必要な道具や食物を自給し、
借金もせず、自給自足する。

今の社会は、すべてに税金をかけて
国の経済基盤を確保している。
株式に関心を持つ人は、
株価の動向に左右されている。
公務員は国や地方の役人として、
国民の奉仕者として仕事をするように教育され、
年金や退職金の減額が気になっている。
少子高齢化や待機児童の問題は
国会でも論議されているが、
問題の指摘に終わり、
対策が論じられているわけではない。
金融機関は家や自動車だけでなく、
教育ローンまで準備して借金生活を準備している。

本当にお金をかけないと教育はできないのか。
本物の教育とは。
みんな自分の都合のいいように考えたり、
モノを捉えたりしているように見える。

ここで、必要なのは神様の視点、
神様は何を目指しておられるのだろうか、
何を求められているだろうかということだ。
その答えは、聖書にある。
神様との関係性が重要だと言われる。


最近の私の証を一つ。

岩本さんが足のかかとが痛いとおっしゃっていた。
妻が「手当をお願いします。」と言って
「よし、やってみよう。」と思って
患部をじっと手のひらで包み、
5分くらいパワー(気)を送った。
すると、なんと痛みが消えたとおっしゃってとても喜ばれた。
そのときは、ひたすら、
「神様、この足の痛みを取り除いてください。」
と祈りながら手当をしていた。
それから2週間ほど経って
「どうですか、足は痛くないですか。」
と尋ねると
「もう、治りました。痛くありません。
ありがとうございました。」と。

えっこういう事が起きるのか、
自分が自分でないような感覚に陥ってしまった。
神様の役事は私にも起きたのだ。
ありがとうございました。
「神様は私たちの道徳の中枢神経です。」



―坂口利伸―



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