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審判は愛である。 日曜礼拝

2016年4月17日、日曜日。
昨晩停電したまま、朝を迎えた。
昨晩の訓読会、讃美会の後、
皆の心から怖れが消えた。
夜中、何度か大きな揺れもあったが、
18名全員、高鼾(たかいびき)、熟睡した。

電灯がないので、6時から訓読会。
薄明かりの中、熱心に訓読した。
ノア家庭、アブラハム家庭、モーセ路程、
一つ一つが2代王の為しておられる摂理と符合して、
我々が摂理歴史の
重要な登場人物であることが自覚せられ、
皆、心を熱くした。
この状況で、み言が痛いほど
実感的に迫ってくる。
今こそ、み言が命である。
キリストをつかめ、生き残れ。
2代王のみ言が私たちの中に息づいている。

被災した避難者は19万人を超えた。
家を失った人々がそれだけ多い。
そんな中、わずか60数名ではあるが、
安永教会のメンバーで
家が倒壊したメンバーはいない。
家の中は大変な状況になってはいるが、
皆かろうじて、自宅は無事である。
余震の恐れもあり、
甲斐家・坂口家に身を寄せてる家庭もあるが、
自宅で生活できてる家庭が大半である。
わずか1名が避難所暮らしだ。

9時から礼拝をする。
30名近くが集まった。
窓を開け放ち、
外にいる人々にも聞こえるようにして、
大きな声で讃美する。
“雨をふりそそぎ”
”聖霊きたれり”
讃美すればする程、愛に満たされていて、
涙が礼拝場に押し寄せる。

“審判は愛である。”
私たちを最初の審判の場に
選んでくださってありがとうございます。
お父様と2代王に従ってまいります。
主を心から讃美し、
しっかり生き残ってまいります。
神様がくださった審判は、
再臨主を拒絶したことにあります。
そのことを悔い改め、
強く主を愛し、讃美してまいります。
私たちを赦してくださったことに感謝し、
全てを受けてまいります。
お父様、心から、ありがとうございます。
審判の中にあなたの愛を強く感じます。
2代王様に御挨拶を申し上げて、
礼拝を終えた。
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コメント

No title

4/17礼拝の映像を見た。
説教の最後の方で、井上牧師が
「地震よ、日本列島縦断お願いします!富士山爆発お願いします!…キリストを捨てたんだからこの国は捨てられます」と言っている。

更にもう一度「地震さま、日本列島縦断お願いします!特に家庭連合本部直撃~!」と言い、聞いている人たちは拍手しながら笑う。
「(地震の審判で)日本国民を分けないといけない」そうだ。

東日本大震災の直後、当時の宋総会長がラスベガスの公館に行ったとき、お父様は彼の手を握ってうつむいたまま黙って涙を流していらっしゃった。

今後、日本に世界に大災害が起こり何十万、何百万人の犠牲者が出たら、お父様の心はどうだろうか。

地震の死者を嗤(わら)い、被害者を嗤う、更に地震の被害が家庭連合、日本全体に及ぶことを願う井上牧師、安永教会信徒達はおかしい、狂っている。

No title

私も井上教会長の言葉に驚きました。地震のあった日、審判せざるを得ない神様と真のお父様の悲しみが感じられて涙がとめどなく溢れた自分でしたので、こちらの教会の方々は色々と実績もあられるようだが、いつしか傲慢になっておられるのでは…。と思いました。世の中の一般の人達が見ると地の声さんのコメントにあったように「狂っている」と思われる事でしょう。
それが亨進様の指導される教会とわかれば、亨進様も同じように思われることでしょう。


地の声さんの

審判摂理

韓氏オモニの堕落(バビロンの淫婦)について、「ヨハネの黙示録」は次のように警告している。「わたしの民よ、彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる」(18/4―5)。再臨主お父様の血と汗と涙の結晶である世界中の祝福家庭を、堕落エバ韓氏オモニが再びサタンの血統に堕落させた「災害」は、熊本地震の比でないことは明らかでしょう。また、洗礼ヨハネの不信によって十字架死による二次摂理が決定的となったイエスに対し、それに反論したペテロに向かって言われた言葉は、「サタンよ引き下がれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイ伝16/23)であった。韓氏オモニの堕落により「お父様」が「審判摂理」を決定されたいま、あなたはそれを「神の(二次)摂理」として受け容れますか?それとも、ペテロのように人間的判断をして、「そんなことがあるはずはございません」(マタイ伝16/22)などと、反論しますか?

No title

審判は避けて通れないことは明らかですよね。サンクチュアリ人なら皆わかっている事です。
私が言いたいのは 、原理もわからない一般の人が見ることもある礼拝の動画ですから、言葉には気をつけたほうがいいということです。あまりにも過激ではありませんか。御自分の教会だけで語られたらいいのでは。私は無論審判を受け入れます。生きるのも死ぬのも神様と真のお父様の為でありたいと願うのみです。

善の問題は起こして―

永遠の生命を重んじた殉教キリシタンたちは、十字架で殺されること、火で焼かれることを喜んで受けました。それで、肉体の死は悲しいものだと思い込んでいる世間の役人たちは、「彼らは狂っている。」と言いました。このブログで先ほど耳にした同じ言葉を、我らの先祖たちは400年前に聞いていたのです。「生きるも死ぬも神様とお父様の為でありたい」というあなたが、サタン世界の目を気にして生きて、御旨の為に「死ぬ」こと、殉教することがあるでしょうか?「お父様のために命を捨てる覚悟」で歩んでおられる亨進様と心をひとつにして、この7年間の荒野路程・世界審判時代を生き抜くことができるでしょうか?「審判は神の愛である」と本当に分かるなら、たとえ世の中の批判を受けることがあったとしても、審判を感謝して受けて、喜んで、たとえ誤解され、善の問題事を引き起こしたとしても、それを通して神の救いの御旨を説くという方法を採らないでしょうか?たしか、お父様も御生前、そんな指導をしてくださったし、安永教会が天一国をつくる御旨を先駆的に歩んで来れた理由も、そこにあった、と私は受けとめています。あくまで私―および背後のキリシタン―の見解です。参考まで。

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