記事一覧

地震で夫婦の壁が崩れた 2

長女は、京都の大学へ。次女は阿蘇の高校へ
通い始めたばかりのあの日、4月14日。

台所にいました。不意に大きな揺れ❗️
娘とテーブルに潜り込み、次々に来る揺れに
怯え、座り込んでいました。あまりの恐怖に
娘は、「お父さん❗️迎えに来て」とライン。
その時、お父さんは大分にいました。

揺れる中、車を一時間半も走らせ迎えに来た
主人。
「帰るぞッ‼️」
娘を、ひっ抱え自宅へ急ぐ主人の頼もしさ。
安堵感が心に広がりました。

大分に避難して、数日が過ぎました。
娘が、突然「教会に行く❗️」と言い出します。
地震で、学校も休みになり、教会に支援物資を
持って行く。というのです。
教会って、益城です。震源地です。
そんなの主人が許すはずない。
どうしよう! 困った。困った。

覚悟決め、始めてサンクチュアリー のこと
安永教会のこと。そこに通っていること。
娘たちもとても喜んでいること。その教会が
益城にあり、地震で苦労しているので、娘が
そこに、支援物資を届けたいと思っていること。
を、主人に伝えました。

最初は、なんだかんだ言ってましたが、そのうち
娘と支援物資を買い出しに出かけました。私が、
イメージしたより、はるかに大量に買い込んで
持たせてくれました。
おかげで、教会の人たちに喜んでもらえたし、地震
以来、始めて皆さんとお会いして、
お互いとっても嬉しかったです。

また、ある日教会のセミナーに参加する日、娘が
突然怒り出し暴れて、手がつけられなくなり、気が
つけば主人にSOSの電話してました。電話を娘に
変わると、娘は落ち着きを取り戻し、ちゃんと
教会に行くようにお父さんに諭されました。

地震でふさぎこんでいる娘のため、仕事を休んで
川や海に魚釣りに連れて行ったリ、私が疲れて
寝込んでいると、夕飯を作って、届けてくれました。
ちなみに夫は教師です。また、自宅は大分で通常
夫と息子2人がそこで暮らし、長女は京都。私と次女が
阿蘇にいます。今回の地震で、主人も私も大分と阿蘇を
何度も、行ったリ来たりしました。

地震の最中でありますが、家族で揃ってカラオケ
行ったリ、イルカ観に行ったリ、釣りしたり、楽しい
家族の時間を過ごしました。こんなに家族で楽しんだ
記憶がこれまで、ありません。

教会に行って、そのことを報告すると、「妻が、問題だったね。」
と、皆笑います。
そうです。
私が、変な信仰していました。
生活とかけ離れた格好だけの信仰、そして空疎な祈り。

教会長は、時々笑いながら、「あなたには、こういうところ
あるよ。…」
私は、その言葉が、お父様のメッセージなんだと理解するのに
時間がかかりました。が、だんだんわかってきました。

また、亨進様のみ言は偉大です。
「妻は、夫を無条件に尊敬する!」

意識して、実践に努めてみました。
そうしてみたら、気がついたんです。自分が、夫を深く
怨んでいました。教会に賛成してくれないことへの恨みが、
積もりに積もって、許せませんでした。愛せませんでした。

それなのに、なにか憑き物が取れたみたいに、怨みが
消えていきました。み言の力と、先祖解怨祝福のおかげです。
二代王亨進様、ありがとうございます‼️

このような天からの恩恵。安永教会の皆さんの実体、
訓読生活に導かれ、地震で、ユッサ ユッサ揺さぶられ
私の中の怨みの城壁が、ガラ ガラと音を立てて、崩れ落ちて
いきました。

自宅に帰って、朝5時主人に「一緒に読む!」と、
「そこでしよ。」
主人の手を握って訓読します。

我が家の震源地。次女は、私とぶつかると
「お父さんに言う!」と、相変わらずです。お父さんと
話すと、落ち着いて、納得してます。次女が苦手な私が
悩んでいると、「こう言いなさい。」と、アドバイスして
くれます。夫のアドバイス通りにすると、娘は納得します。

二代王様が立たれ、天一国憲法が宣布された今、
家庭連合時代にあった、曖昧さ、ウソ、偽りは通用しない
時代になったと実感します。
だからこそ、お父様のみ言にある如く正午定着で生きなければ
、と思います。

これまでも、主人は反対しながらも、日々たくさんの愛を
私にくれていましたが、それが、全く見えていませんでした。
ただ、怨んでいました。
それが、地震以降、自然と見えるようになりました。
愛に気づきました。主人を尊敬します。

お父様、地震ありがとうございます‼️
私たちは、元気に頑張っています。

相馬記


昨日、わざわざ宇和島から義援金を届けてください
ました。宇和島海外支援女性の会様。
ありがとうございます‼️
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント