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不信した私をも捨て賜わず救い賜う神様

こんにちは。

青年会の、坂口悠と言います。
今回、青年会全体に祝福を待ち望む雰囲気が盛り上がりました。
私も内的に色々整理が着いたので、新たな一歩を踏み出せるきっかけになればと思い、
神様の導きによる私の証しをさせて頂きます。

私は19歳の時母に連れられ、統一教会に導かれました。
しかし、当時の私は神様や霊界は信じていましたが、統一教会の信仰生活に興味がなく、
母から言われる内容にも否定的で嫌気がさしていました。
そのため、就職先を敢えて遠方にし教会と一線を置きました。

就職して、三年目、私は両親や教会の方の意見を全く無視し、
そして神様を捨て、子供を身ごもり結婚しました。
その時点で、両親や教会関係者とは一切連絡を絶ちました。

しかし、その報いは直ぐに現れました。
出産前に妊娠中毒症にかかり、緊急入院。
状態が安定し普通分娩を試みるも、致死量の出血をし、輸血。
産後三日間、目がチカチカし、頭も痛く、光を見ることができず、日中も暗い部屋で過ごしていました。
移動も車椅子。

流石に悟りました。
神様を捨てた報いだと。

それから、2.3ヶ月が過ぎ、連絡を絶ってた母から手紙が。
内容は、私の体を心配する内容と、ビジンエキの紹介でした。

前述の通り、難産だったため産後も身体の調子が悪く血圧も高いままでした。
そこで、健康食品をネットで探していた最中にその手紙が。

直ぐに、母からビジンエキを送ってもらい私はあっという間に血圧が落ち着きました。

そして、しばらく経って産後初めての帰省をしました。
両親も教会の方も私が一方的に裏切ったにも関わらず恨み言一つ言わず温かく迎えて下さいました。

そこで、私は実家で『天国を開く門』をなんとなく手に取り読んでみると、
神様の愛にあふれたみ言が沢山詰まっていました。

その当時私は、夫とも上手くいかず子育てもノイローゼ気味で、
子供に対して過保護で家庭生活が単調に流れていき、通常の精神状態ではありませんでした。

そんな時に読んだ『天国を開く門』。
正に、その時の私にピッタリなみ言でした。

そこから、改めてお父様の生涯、み旨について勉強していきました。
知れば知るほど、家族で食口にならなければならないと感じ、
当時住んでいた所に祭壇や旗を掲げ信仰生活を進めていきました。

元々、夫は無神論者であり私は有神論者。
いつか、闘う日がくるだろうと、出会ったときから覚悟していました。

そのため、これから私はどうすればよいか神様に尋ね求める日々が続きました。
祝福がこの道の最も大切なことです。
夫が祝福を受け入れてくれるか。
そうでなければ離婚して新しい道に進むか。
私には深刻な日々が続きました。

一番の問題は、子供のことです。
この子をどうしたらいいのか?
私はその決断がなかなか出来ずにいました。

そんな中、子供の熱発、、、
私自身においても今までに無かった強烈な頭痛。
振り返ると「時」を知らせるサインだったと、思います。

すると、夫と言い争いをしていると急に目の前から子供を奪っていき私から引き離しました。
子供をとるのか、神様をとるのか!と。

私は泣きわめきました。今まで片時も離れたことが無かったのです。

心が決まりました。神様に帰ろう。
それから、すぐに職場を辞職し身一つで実家に戻りました。

その後。一ヶ月はどのように生きていたのか記憶がありません。
ただただ、神様に悔い改めの日々でした。

それから1年。
この一年は本当に色んな心情を体験させて頂きました。
それと共に神さまが生きて働いておられる役事を沢山見させて頂きました。

今月は子供の、二歳の誕生日です。

神様に祝福をかけて闘った末の離婚。
私にとってのイサク献祭は子供です。

色んな心情世界を体験してたどり着いた今の心境は、
亨進様の説教にもあるように、悪に対しては絶対的に戦います。そして、憎みます。
しかし、色んな迫害をしてきた元夫への憎悪の感情は殆ど無くなりました。

なぜなら、私も原理を知りながらお父様を不信した過去が有ります。

だから、私も罪人中の罪人です。

その為の蕩減、十字架を一生をかけて背負っていく覚悟です。

振り返ると、今の私があるのは初めから今現在も神様の愛によって生かされていると心底思います。
そして、色んな路程を通過してたどり着いたサンクチュアリ教会。

私はここで、人生を再出発し氏族メシア活動に参加し、
神の血統を残し亨進様の建てられている天一国の礎となって行きたいと思っています。

そして、一番は母の不動の信仰によって坂口家は神様、お父様に導かれました。
改めて屈服します。
そして両親に感謝です。
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