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わたしは自分から語ったのではなく、

ヨハネによる福音書12章49節

わたしは自分から語ったのではなく、わたしを
つかわされた父ご自身が、わたしの言うべきこと、
語るべきことをお命じになったのである。わたしは
、この命令が永遠の命であることを知っている。
それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの
父がわたしに仰せになったことを、そのまま語って
いるのである。

訓読会について、多くのみ言を語られたお父様。
その中に上記の聖句と全く同じみ言があります。

世の中の他の言葉では、霊界が動員されないのです。
このような先生のみ言は、すべて最前線で語った
み言です。サタンと闘って決闘するとき、条件に
引っ掛けようとするサタンを分立させてきた実戦史
なのです。ですから、その実戦史を経て実戦史の伝統
を受け継ぐことができるので、霊界に行ったすべての
人たちは深刻になるのです。興奮して地上に来ようと
します。
先生の訓読会のみ言を聞けば、なにか普通の言葉と
違うのです。困難な迫害をはねのけたそのみ言なので、
霊界がそのような基準を中心として、地上を早く蕩減
しようとするのです。
(1998. 3. 19)
神様の真理とは、世俗的な真理ではなく、神様の愛の
御言をいいます。神様の真理は、ある特定の摂理的な
人物を通して啓示として地上に伝えられます。神様の
真理は絶対真理です。絶対真理は万能キーのような
もので、この真理を適用すれば、いかなる難問題も
解けるようになります。
(1985. 12. 16)

先生のみ言は、先生が語っているものではありません。
先生が語っているのではなく、天が先生を通して語られ
たみ言です。そのみ言は、皆さんがいつどこで聞いても、
心が動き始めます。それが違うのです。先生1人ではあり
ません。縦横を合わせたその場で語ろうとしたので、心も
体も共鳴体になるのです。
振動が起こります。心と体がひとつになるので、体が振動
すれば心が振動し、心が感動すれば体に一大革命的な変化
が起こるのです。そのような力があります。それは、文総裁
のみ言ではなく神様のみ言だからです。
(1998. 2. 1)

お父様は、まさに再臨のイエス キリスト。
今日もありがとうございます。
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