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婦人よ…

安侍日おめでとう㊗️ございます。

ヨハネによる福音書2章4節
イエスは母に言われた。「婦人よ、あなたは、わたしと、
なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきて
いません」。

有名なカナの婚礼の場面です。親戚の婚姻の場に身を置いて、
イエス様の忸怩たる思いが、噴き出しています。

お父様です。
マリヤが本当の意味で、この地上のいかなるサタン世界の
母親よりも、イエス様を愛さずして愛の道を訪ねていくよう
になれば、天理の法度から外れるのです。マリヤは、イエス様
のために選ばれた女性です。したがってマリヤは、イエス様の
母としてイエス様を懐妊して出産すれば、誰よりもイエス様を
愛さなければならないのです。
愛する際には、この世のいかなる母親よりも高い位置で愛さな
ければならないのです。自分の命を捧げ、自分が裂かれて死ぬ
ことがあっても、愛を守る為に行かなければならないのです。
死と引き換えるようなことがあっても、愛を守るために行かなけ
ればならないのです。
ヨセフが曖昧であるならば、足で蹴っ飛ばしてでもイエス様の
ために大げんかして、足が折れて頭が切れるようなことがあっても
イエス様を愛することに夢中にならなければならないのです。それ
にもかかわらず、ヨセフと暮らすのですか。イエス様を愛したという
立場で育て、愛する年頃になれば、妻を娶らせて愛し得る立場まで
送り出さなければならないのです。
イエス様は幼い時から母の愛を受け、「私の母は、天上天下に2人
とない母です。たった一人しかいない母です。神様、この母は愛さず
にはいられないわたしの母ですので、あなたの国に私の母として入籍
してください」と言うべきなのです。イエス様が決定してこそ、マリヤ
も天国に入籍できるのです。ところが、入籍できないマリヤをカトリック
では聖母と呼んでいるのです。何が聖母でしょうか。天の国に入籍
できなかったのです。
それを考えると、母親はイエス様のことを愛したでしょうか。夫も知ら
ない、誰も知らないという立場でイエス様だけを愛することに夢中に
ならなければならないのです。世界史にない母として外的な環境がどうで
あれ、イエス様の前に愛を注ぎ、イエス様のために一生の精誠をすべて
捧げて息子を愛する母にならなければなりませんでした。一等の母に
ならなければならなかったのです。マリヤはそうだったでしょうか。それが
できなかったので、イエス様から「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの
係わりがありますか」という言葉を言われても当然なのです。全く当然の
ことなのです。
イエス様が少し物心のつくぐらいの頃、兄弟たちが生まれて育つ中で、
弟たちがイエス様を冷遇したのです。よくよく見ると、イエス様は継子で
あり、その兄弟たちは実の息子なのです。ですからマリヤとヨセフの間に、
イエス様ゆえにいつもトラブルが起きたのです。
非嫡出子として生まれたイエス様は、あきれたのではないでしょうか。
彼らとけんかすると、弟たちはいつも誰のところに行くかといえば、お母さん
の所に行くのではなく、お父さんの所に行って、お兄さんがどうのこうのと
言うので、もとから心が安らかではなかった立場にいたヨセフが、いい言葉を
言ったでしょうか。
すべて災いのもとになったのです。ヨセフもそうであり、弟たちもそうであり、
その環境というものはあきれたものです。義父のもとに入ればそのようになる
のです。ですからイエス様は、父の愛を受けたことがありますか。弟たちの
愛を受けたことがありますか。愛を受けていたなら、なぜ家を出たのでしょうか。
家を出る必要がないのです。ペテロ、ヤコブ、ヨハネなど12弟子が必要でしょう
か。自分の親戚を中心として引っ張っていけばよいのです。ところがそのように
できなかったので、ヨセフの一族は滅びていったのです。彼らがイエス様を擁護
し、イエス様を中心として進んでいたならば、イスラエルの国が滅びるはずは
なく、ユダヤ教が滅びるはずはありません。 ( 1972, 10, 31 )
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