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エマオ

ルカによる福音書24章13節

この日、2人の弟子が、エルサレムから7マイル離れた
エマオという村へ行きながら、このいっさいの出来事
について互いに語り合っていた。語り合い論じあって
いると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に
歩いて行かれた。しかし、彼らの目がさえぎられて、
イエスを認めることができなかった。

主イエス様を失い、失望した弟子たちは、望みの全てを
失い落胆の中、家路に向かっていました。そこにイエス様
が、姿を現されます。彼らはその方が誰かわかりません。

今日土曜日セミナーの中心テーマです。

道々、イエス様は多くのみ言を弟子たちに伝えられます。

30節から
一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、
彼らに渡しておられるうちに、彼らの目が開けて、それが
イエスであることがわかった。すると、み姿が見えなく
なった。

お父様のみ言です。

イエス様が30年の準備期間に開拓者として抱いた決心とは、
何だったのでしょうか。それは、「死の峠があっても私は行く、
迫害の道があっても私は行く。滅びることがあっても私は行く」
という決心でした。
そうしてイエス様は、この準備期間に、自分の生活的な環境を
清算し、自分のための生涯の理念を清算し、民族的な全ての因縁
を清算し、旧約と法度を重視するユダヤ教団の形式までもみな
清算するという、一生の覚悟をしたのです。
天国を開拓し、全世界の人類の心を開拓すべきイエス様は、寝て
も覚めてもその生活において、神様の理念の境地に、1日に何度
も往来しない日がありませんでした。そのようなイエス様であった
ことを知らなければなりません。
30年の準備期間における内的な悲しみを、この地上の万民は知り
ませんでしたが、ただ神様だけはイエス様の味方になってください
ました。イエス様が木に鉋がけをする場でも、手斧を持って木を
小さく切る場でも、鋸を持って木を切る場でも、御飯を食べて休む
場にいても、彼の心は神様の心情と事情を体恤することを願い、神様
の願いだった天国の建設を、一瞬でも忘れたことがなかったという
事実を知らなければなりません。
それだけではなく、4000年の歴史を無にすることがあり、選ばれた
イスラエルは無にしたとしても、このような価値は無にすることが
できず、選ばれた教団は無にしたとしても、これは無にすることが
できず、両親や親戚、いかなるものもすべて無にすることができたと
しても、これだけは無にできないと、心の中に、そして骨と肉にしみる
ように感じたのです。そうして徹頭徹尾、天情を中心として1日を見つめ
ながら準備してきたイエス様の生涯こそ、悲壮な生涯の連続であったことを
皆さんは知らなければなりません。
1日、1時を探し求めて準備したイエス様の心情とその愛を、皆さん、
もう一度描いてみてください。彼の着ているものはみすぼらしく、彼の姿
は悲しく見えたとしても、彼の視線だけは、他のいかなる征服者や開拓者
にも負けないものでした。
天の心情と通じる彼の視線であり、宇宙を貫いても余りある途方もない
視線をもっていたという事実を、私たちは考えざるを得ません。したがって、
そのような心情と視線をもって見つめる彼は、試練を受ける不憫な人の姿に
なるまいとしてもならざるを得ず、悲しみを抱いた姿になるまいとしても
ならざるを得なかったのです。
このような事実を回顧してみると、イエス様は、歴史路程を通して苦労して
こられた神様をつかむ心情が強くなれば強くなるほど、不信のイスラエル民族
になるのではないかと心配する気持ちが大きくなり、不信の使徒、不信の弟子
たちになるのではないかと限りなく心配したという事実が分かります。イエス様
は、このような心を抱き、黙々と30年の準備期間を過ごしました。
天の側に立って燃え上がるイエス様の心情がいくら強くなっても、それは自分の
一身のためのものではありませんでした。天の願いに燃え上がり、世界を見つめる
視線がいくら深刻であっても、それは自分の一身の欲望のためのものではなかった
ことを、私たちは知らなければなりません。
ただイスラエル民族のために生きようとしたのであり、全世界のために生きよう
としたことを知らなければなりません。それでイエス様は、限りなく悲しい涙を
流したのです。そのような準備期間に、イエス様は十字架の峠を一度だけ覚悟した
のではありません。誰かが死ぬといううわさがあれば、彼を回生させるべき人は
正に自分であると、感じることが何百回もあったのです。
誰かが無念にも迫害を受け、無念にも追われ、不憫な立場でひどい目に遭っている
人がいれば、その事情を自分の事情として考えました。当時、起こっていた社会の
凄惨な現象を、自分の一身の実践路程の上に展開されている実証的な供え物のように
考えながら見つめた、イエス様の心情を知らなければなりません。( 1959: 2, 1 )

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