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神様の視点

ルカによる福音書15章11節

また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。
ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。
それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩(ほうとう)に身を持ちくずして財産を使い果した。
何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。
そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。
立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。
そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻(せっぷん)した。
むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。
しかし父は僕(しもべ)たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。
また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。
このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。
ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、
ひとりの僕(しもべ)を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。
兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、
兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。
それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。
すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。

今朝の訓読会 聖書の時間に訓読したところです。キヨミさんが、質問してきました。通常は、あまりにも知られた放蕩息子の内容なので、とりたてて質問したりするところではありませんが、いかんせん、なにしろ聖書というものを見たことさえ人生70年初めてのことなので、聞いてみたかったのでしょう。そこで、簡単に説明しようとして、ゾクッとしました。(早朝の訓読会は、聖書2章それから天聖経数ページ、そして二代王様の説教かキングズレポートの日本語訳を毎日訓読します。) 今日訓読した二代王様のみ言と、放蕩息子の内容が、ピッタリおんなじです。最近こういうことが、立て続けに起きています。

二代王様のみ言です。

「お父様ならどうするだろうか」
神様の視点で見なければなりません。( 豊かな王国 2017, 7, 23 )
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