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ローマ人であるわれわれを、

使徒行伝16章19節


彼女の主人たちは、自分らの利益を得る望みが絶えたのを見て、パウロとシラスとを捕え、役人に引き渡すため広場に引きずって行った。
それから、ふたりを長官たちの前に引き出して訴えた、「この人たちはユダヤ人でありまして、わたしたちの町をかき乱し、
わたしたちローマ人が、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しているのです」。
群衆もいっせいに立って、ふたりを責めたてたので、長官たちはふたりの上衣をはぎ取り、むちで打つことを命じた。
それで、ふたりに何度もむちを加えさせたのち、獄に入れ、獄吏にしっかり番をするようにと命じた。
獄吏はこの厳命を受けたので、ふたりを奥の獄屋に入れ、その足に足かせをしっかとかけておいた。
真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。
ところが突然、大地震が起って、獄の土台が揺れ動き、戸は全部たちまち開いて、みんなの者の鎖が解けてしまった。
獄吏は目をさまし、獄の戸が開いてしまっているのを見て、囚人たちが逃げ出したものと思い、つるぎを抜いて自殺しかけた。
そこでパウロは大声をあげて言った、「自害してはいけない。われわれは皆ひとり残らず、ここにいる」。
すると、獄吏は、あかりを手に入れた上、獄に駆け込んできて、おののきながらパウロとシラスの前にひれ伏した。
それから、ふたりを外に連れ出して言った、「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。
ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。
それから、彼とその家族一同とに、神の言(ことば)を語って聞かせた。
彼は真夜中にもかかわらず、ふたりを引き取って、その打ち傷を洗ってやった。そして、その場で自分も家族も、ひとり残らずバプテスマを受け、
さらに、ふたりを自分の家に案内して食事のもてなしをし、神を信じる者となったことを、全家族と共に心から喜んだ。
夜が明けると、長官たちは警吏らをつかわして、「あの人たちを釈放せよ」と言わせた。
そこで、獄吏はこの言葉をパウロに伝えて言った、「長官たちが、あなたがたを釈放させるようにと、使をよこしました。さあ、出てきて、無事にお帰りなさい」。
ところが、パウロは警吏らに言った、「彼らは、ローマ人であるわれわれを、裁判にかけもせずに、公衆の前でむち打ったあげく、獄に入れてしまった。しかるに今になって、ひそかに、われわれを出そうとするのか。それは、いけない。彼ら自身がここにきて、われわれを連れ出すべきである」。
警吏らはこの言葉を長官たちに報告した。すると長官たちは、ふたりがローマ人だと聞いて恐れ、
自分でやってきてわびた上、ふたりを獄から連れ出し、町から立ち去るようにと頼んだ。
ふたりは獄を出て、ルデヤの家に行った。そして、兄弟たちに会って勧めをなし、それから出かけた。


☆ 同じく牢獄に閉じ込められても、ペテロの場合とパウロの場合とでは、その脱獄の仕方主の導きにも、違いがありました。ことにパウロはローマの市民権を得ていましたので、その後捕縛する側も大変になってきます。


 霊界でも、関心は、先生以外にはありません。父母様以外にはないのです。それが生命の根源であり、愛の根源であり、良心の根源であり、すべてのものの根源です。そこを通じなければ大きくなりません。(256-28,1994.3.12)

 この地上世界だけが真の父母を必要とするのではなく、霊界も同じです。どうしてですか。そこでは地上で愛を もって生きた人が行って宮殿をつくるべきですが、そのような人がいないからです。愛の宮殿は、神様もつくることができず、霊界の人もつくれません。真の父母がつくらなければならないのです。霊界で愛の宮殿が真の父母から始まります。霊界に宮殿があっても、真の父母が行って、「ここを宮殿とします」と宣布してこそ、それを中心としてすべての霊界が落ち着くのです。そのような責任が残っているので、霊界でも真の父母を絶対に必要としています。(206-255,1990.9.9)


先生は、常にいる人ではありません。歴史が始まって以来、2000年の間に、Ⅰ世紀前にもなく、あとにもない、永遠に1回しかないこの期間に生まれた人です。いつでも生まれ得る人ではないのです。そのような期間に皆さんが 先生から直接秘密の内容を学ぶということは、無限の価値があるのです。そのまま実践して霊界に行けば、間違いなく天国に行くのです。その未来のが皆さんを待っているのです。その天国は、今まで空いていました。真の父母が本来、入るはずでしたが、真の父母が現れなかったというのです。(249-327,1993.10.11)

 統一教会の先生の誇りは、神様知っていることです。霊界で知っている以上に知っているというのです。人がいくら多いといっても、神様の心情を知っているので、神様は最も先生のことが好きです。(146-333,1986.8.10) (天聖経P930)


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