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この町には、わたしの民が大ぜいいる。

使徒行伝18章5節

シラスとテモテが、マケドニヤから下ってきてからは、パウロは御言(みことば)を伝えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちに力強くあかしした。
しかし、彼らがこれに反対してののしり続けたので、パウロは自分の上着を振りはらって、彼らに言った、「あなたがたの血は、あなたがた自身にかえれ。わたしには責任がない。今からわたしは異邦人の方に行く」。
こう言って、彼はそこを去り、テテオ・ユストという神を敬う人の家に行った。その家は会堂と隣り合っていた。
会堂司(かいどうづかさ)クリスポは、その家族一同と共に主を信じた。また多くのコリント人(びと)も、パウロの話を聞いて信じ、ぞくぞくとバプテスマを受けた。
すると、ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。
あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる」。
パウロは一年六か月の間ここに腰をすえて、神の言(ことば)を彼らの間に教えつづけた。


☆ 初代教会の息吹きが、強く感じられる場面です。


 今日、神様は何を願っていらっしやるのかといえば、この終末時代に御自身の姿を現すことを願っていらっしゃいます。それで、完全に心情的で、縦的に復帰され完成した男性、言い換えればメシヤとして再び現れようとされるのです。完成したアダムの代身となり、完成したエバの代身となる中心人物が出てこなければなりません。
 成約時代は、神様自体が真の父母の姿をして、万民の前に現れるようになります。統一教会が、政治によるどんな力を投入しても、主管されない偉大な力をもっているのは、正にこのためです。
 生きている神様を私たちが直接目で見て、感覚をもって体価できる圏内で、体験を積みながら出ていくのが、私たち統一教会の道なのです。(御旨と世界.270)

 人間の願いは、真の父母に出会うことです。死の道を行くとしても、出会わなければならない人が真の父母だというのです。歴史をみな失い、時代をみな失い、自分の子孫をみな失うことがあったとしても、真の父母に出会うならば歴史を取り戻すのであり、時代を取り戻すのであり、未来を取り戻すのです。このような方が正に真の父母であることを皆さんは知らなければなりません。(35-237,1970.10.19) ( 天聖経 P 991 )

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