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わたしは生まれながらの市民です。

使徒行伝22章22節

彼の言葉をここまで聞いていた人々は、このとき、声を張りあげて言った、「こんな男は地上から取り除いてしまえ。生かしおくべきではない」。
人々がこうわめき立てて、空中に上着を投げ、ちりをまき散らす始末であったので、
千卒長はパウロを兵営に引き入れるように命じ、どういうわけで、彼に対してこんなにわめき立てているのかを確かめるため、彼をむちの拷問にかけて、取り調べるように言いわたした。
彼らがむちを当てるため、彼を縛りつけていた時、パウロはそばに立っている百卒長に言った、「ローマの市民たる者を、裁判にかけもしないで、むち打ってよいのか」。
百卒長はこれを聞き、千卒長のところに行って報告し、そして言った、「どうなさいますか。あの人はローマの市民なのです」。
そこで、千卒長がパウロのところにきて言った、「わたしに言ってくれ。あなたはローマの市民なのか」。パウロは「そうです」と言った。
これに対して千卒長が言った、「わたしはこの市民権を、多額の金で買い取ったのだ」。するとパウロは言った、「わたしは生れながらの市民です」。
そこで、パウロを取り調べようとしていた人たちは、ただちに彼から身を引いた。千卒長も、パウロがローマの市民であること、また、そういう人を縛っていたことがわかって、恐れた。
翌日、彼は、ユダヤ人がなぜパウロを訴え出たのか、その真相を知ろうと思って彼を解いてやり、同時に祭司長たちと全議会とを召集させ、そこに彼を引き出して、彼らの前に立たせた。


★ ヘブル語で、ダマスコでのイエス様から召命を受けた証をして、異邦の民へつかわされたことを伝えると、ユダヤの人びとか半狂乱になって騒ぎ出しました。


 我々の生の1代というものは、わずかの間です。この1代が、永遠と瞬間を上がったり下がったりするのです。 この生が延長されれば、無限に延長され、反面、これを折れば、ここから新しい天地が起こるのです。秤(はかり)と同じように、上がったり下がったりするのです。
 皆さんは全部、先祖たちの顔を代わりにかぶってきた歴史的な復活体です。その歴史は、どれほどになるでしょうか。何十万年になったと言われます。そのように長い歴史過程が、結局は自 分一人をつくるために苦労してきたの です。金氏なら金氏という自分一人を 誕生させるために、数多くの先祖たちが生まれて死んだと考えるのです。ですから我々は、歴史的な結実体です。
 このような結実体が、虫が食って穴がぼかりと空いた果実でいいでしょうか。開いてみると、真っ黒な種が、ころころと転がって出てくるリンゴが良いですか、その種が、べたべたして付いているリンゴが良いですか。皆さんをばかっと裂けば、よく熟した種が出てくるでしょうか。皆さんの二世が間違いなく、天の実になると思いますか。皆さんの心の中を裂いてみれば、よく熟した統一教会が出てくるでしょうか。
 6000年の人類歴史の結実体が、熟さずに落ちる果実のように落ちていいでしょうか。「ああ、私は落ちそうだ。がもう少し吹けば落ちるだろう。先生、ゆすらないでそっとしておかなければ なりません」と言ってもいいでしょうか。ここにそのような人もいるでしょう。反面、「先生が斧で打って、自分を思いどおりに揺すっても、枝が折れない限りは、絶対落ちません」という群れもいるでしょう。皆さんはどちらの群れに属しますか。(46-155,1971.8.13) (天聖経P702)



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