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誇る者は主を誇れ

コリント人への第1の手紙1章21節

この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。
ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。
しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。

兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。
あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。


★ 訪問していただき、ありがとうございます。PAから帰ってまいりました。
皆様よく御存知のように、お父様のみ言が強烈でした。強い口調の中にとんでもない愛を痛く感じました。霊人体が吹き飛ばされるくらいの波動を受け、深い悔い改めの中にも喜びがありました。


 人間が愛を一番好むのも、愛が全体を統一させ、私のものにすることのできる主体だからです。人々には、愛がどれほどいいものかを知るすべがありません。(18-328,1967.8.13)

 愛は、父母が子供を愛するように、すればするほど喜びが膨れ上がるのです。愛は、一つになることです。もし神様の愛と一つになった人がいるとすれば、その人は、どこの誰も切り離すことができません。ですから、どれほど素晴らしい愛でしようか。(18-329,1967.8.13)

 花の中に入っている蜂たちは、吸おうとおしりを上にもち上げ、頭を埋めています。それをピンセットで引っ張っても離れません。強く引っ張っておしりが外れても離れません。その蜜の味がどんなに良くて、そうするのでしょうか。蜜の味がそうならば、愛の味は、どうでしょうか。愛の味と密の味では、どちらがより良いですか。(137-57,1985.12.18)

 愛でなくては、一つにすることができません。二つを一つにするには、言葉をもってはできません。二人が一つになるためには、何がなければならないのでしようか。物質をもって一つに なったならば、物質がなくなれば逃げていくのです。第三者の紹介により、何かの事情を通じて一つになったなら、その人がいなくなれば去ってしまうのです。二人が一つになるためには、そして永遠に一つになるためには、何がなければならないのでしようか。愛がなければなりません。(51-74,1971.11.1) ( 天聖経 P 319 )


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