記事一覧

生きるのも主のために生き、

ローマ人への手紙14章

信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。
ある人は、何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。
食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。神は彼を受けいれて下さったのであるから。
他人の僕(しもべ)をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。
また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。
日を重んじる者は、主のために重んじる。また食べる者も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。
すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。
わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。
なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。
それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。
すなわち、
「主が言われる。わたしは生きている。
すべてのひざは、わたしに対してかがみ、
すべての舌は、神にさんびをささげるであろう」
と書いてある。
だから、わたしたちひとりびとりは、神に対して自分の言いひらきをすべきである。


★ 耳の痛い聖句です。他人を見る前に、主を見るべきです。


 神様が男性と女性を造られた目的は、二人が愛し合って一つになるようにするためでした。アダムはアダムのために、エバはエバのために造られたのではありません。アダムはエバのために、エバはアダムのために造られたのです。
 また、神様御自身の愛と喜びのためにアダムとエバを造られたのです。神様がアダムとエバを造られたのは、知識、権力、お金のためではありません。全知全能なる神様は、知識、お金、権力が必要だったのではなく、ただ愛が必要だったのです。(祝福家庭と理想天国I-308)

 神様がアダムとエバを造られたのは、知識を与えるためでもなく、権力を与えるためでもなく、多くの財物を与えて良い生活ができるようにするためでもありません。彼らを創造された目的は、愛の実体として立てるためだったのです。(祝福家庭と理想天国I-308) ( 天聖経 P 421 )


スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント