記事一覧

善にさとく、悪には、うとく

ローマ人への手紙16章17節

さて兄弟たちよ。あなたがたに勧告する。あなたがたが学んだ教にそむいて分裂を引き起し、つまずきを与える人々を警戒し、かつ彼らから遠ざかるがよい。 なぜなら、こうした人々は、わたしたちの主キリストに仕えないで、自分の腹に仕え、そして甘言と美辞とをもって、純朴な人々の心を欺く者どもだからである。 あなたがたの従順は、すべての人々の耳に達しており、それをあなたがたのために喜んでいる。しかし、わたしの願うところは、あなたがたが善にさとく、悪には、うとくあってほしいことである。 平和の神は、サタンをすみやかにあなたがたの足の下に踏み砕くであろう。
どうか、わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。


★ 審判に当たって、判断力が問われます。しっかり自分で決断する癖をつけることです。


 神様は、愛に酔って億千万代を生きられるように人間を造られました。それで、人が老いることは怨讐ではあり ません。人は愛から始まり、愛をもって生活し、愛の実として収められます。死ぬことが愛の実を収めることです。
 私たちが父母の愛を受け、子女の愛を受け、夫婦の愛をもって父母として子女を愛し生きたので、神様の愛、内的な愛の世界に蒔いたすべてのものを、生涯を経て実を結び、これを収めてからあの世に行くのです。(83-198,1976.2.8)

 神様は、真の愛の土台の上で生命を備え、真の愛の土台の上で全知全能でなければなりません。それでこそ神様 は、私たち人間にとって歴史を超越した立場に立った理想的主体になれるのであって、生命の力だけで主体的立場に立てば、すべての万物が一つにならないようにするのです。ごく小さな動物も、植物も、すべて愛の主人が自分を育ててくれることを願い、愛のみ手が来るのを喜ぶというのです。「誰よりも私が強い。あなたは私の思いどおりにしなければならない、こいつ」と、このように言ってはいけません。愛が 内包された、そこに生命が動くのです。 命の根源は愛です。神様が存続し始 た起源は、生命ではなく、愛なのです。(173-86,1988.2.7) ( 天聖経 P 316 )
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント