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島原・天草のキリシタン 今、「生き返って」「キリストとともに」いる!

 イエスのあかしをし、神の言(ことば)を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、
また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けなかった人々がいた。
彼らは、生き返って千年の間、支配した。
……彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに千年の間、支配する。
――「ヨハネの黙示録」20章1~4節、6節――

 ■「首を切られた」殉教者の霊―ヨハネの黙示録と島原の乱―
 再臨主「お父様」の聖和3周年以後、文亨進様は「ヨハネの黙示録」を取り上げられ、
「お母様」が「淫婦バビロン」となったことなど「深刻な」事実を告白された。
黙示録の解説はその後も継続され、「天一国憲法」発布直前の2015年10月7日には、
「主の千年王国永遠なれ」のタイトルで第20章1―4節(上記)を上げて解説された。
 この聖句を訓読しながら、「イエスのあかしをし、神の言を伝えたために首を切られた人々」とは、
島原の乱(1637―38)に参加した3万7千人の島原・天草地域のキリシタンを
指しているのではないか、と思い当たり、心に刻まれた。
「首を切られた」の表現が、同事件に於ける籠城キリシタンの最期の姿と重なったからだ。


 島原の乱事件における幕府軍による最期の総攻撃は、
一般に、籠城キリシタンの抵抗があり、「激戦」であったとされるが、
それは幕府軍を構成する複数の諸藩軍が手柄功名のために作り上げた虚説であった。
事実は、3ケ月余り籠城したキリシタンたちは「すでに何日か前に食料が尽き」、
「餓死同様のありさま」であり(『島原記』別本『嶋原物語』)、
武器弾薬も「城中に鉄砲五百挺ほど」あったものの、
「玉薬は正月末より切れ申し」(『山田右衛門作口上書』)、
「激戦」を展開できる状況になかった。

 もとより彼ら「立上りキリシタン」は、四旬節とあわせて「転び」の罪を償い、
「一同、揃って死ぬ」ために行動したのであって、戦闘して勝ち残ることが目的ではなかった。
キリシタンにとって武器を手に戦うことは、
むしろハライソ(天国)にいくための障害になるもの、「罪」に値するものであった。
 彼らがほとんど無抵抗で殺されたことを証明するのは、
容易でないように見えるが、たとえば幕府軍が残した諸記録を詳細に調べていくと、
それらを窺える表現がいくつか見え隠れする。

彼らが死ぬ日と定めた日―1638年4月11日(陰暦寛永14年2月27日)、
城の門が一斉に開けられたこと(『寛永平塞録』)。
ほとんど「草臥(そうが)」の状態であったこと(『島原一揆松倉記』)。
生き残った者は「丸裸になり、持ち道具を捨て、首を切られ候へ」
と申し出たこと(『佐野弥七左衛門覚書』)。
彼らは「やみやみと」、「むざんに」討たれこと(『島原記』)などである。
 その数3万7千人。
一度に死んだ殉教者の人数で、これほど多いのは2000年キリスト教の歴史上、
稀なこと、神の心に記憶される出来事であったに違いない。
 

 それなら、果たして2000年以前に記された「ヨハネの黙示録」の聖句が、
島原の乱事件における殉教キリシタン3万7千人の「首を切られた人々」を指す、ということがあるだろうか。
 これについては今、亨進様がキリストを裏切った「お母様」を
「ヨハネの黙示録」に登場する「淫婦バビロン」として、
また淫婦バビロン「お母様」に指導される世界平和統一家庭連合を
「七つの頭と十の角」を持つ「赤い獣」として解釈しておられること等からして、
それらの記載は家庭連合とそれより分立されたサンクチュアリ教会のことを指している、と言うことができる。
であれば、サンクチュアリ教会と同教会所属の信徒たち、
さらにはそれらを取り巻く客観情況・歴史的背景―
たとえば島原・天草地域におけるキリシタン史、
「首を切られた」殉教者たちを説明していることもあり得るに相違ない。

 ■彼らは「生き返って」「キリストとともに」王国を支配する。
 ヨハネの黙示録によると、「首を切られた」殉教キリシタンたちは成約時代、
「生き返って」、「キリストとともに」いて「千年の間、(王国を)支配する、と預言されている。
 「生き返って」というのは、イエス・キリストの言葉を借りると
「墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返る」(マタイ福音書27章52節)ということ、
霊界にいる新約のキリシタン霊人たちが地上人に再臨協助して復活することである。

 彼らは―地上人と違って―再臨主を正しく認識し、
主が聖和された後もその「代身者・相続者」亨進様を
唯一の地上における使命継承者・完成復活使命者として認識し、
ゆかりある地上人たち、成約聖徒たちをサタン教会・家庭連合から分立して、
神の幕屋教会・サンクチュアリ教会に導いてくれるはずである。
―否、すでにそれらの現象を我々は目撃している。
天草・島原のキリシタン=原城殉教キリシタンたちが善なる先祖霊としてあらわれ、
聖霊の役事を伴いながら活き活きと氏族メシヤ活動を展開している熊本・安永教会である。

 安永教会の活動の基本は「御言訓読」にある。
それは、再臨主「お父様」が示された「天国に接続する電線」、
氏族メシヤ・家庭教会時代の「原理教育」、
「再臨主キリストを代身して人類を永遠に守ってくれる」最も貴い福音であった。
 主は言われた。
「(御言は)霊界が協助した基準があるので、訓読会をし、正しい心だけをもてば、
みな感動し、自分でも知らずに涙が出て来るのです。
…みなさんもそのような霊的体験をしてみなければならない。」と―
(「真の父母様の御言の価値」1999/5/1)。

 「今から人類は、かつて経験することができなかった霊的な経験
すなわち超越の世界と多く交流をもつようになるでしょう。
頻繁に起きる霊的役事によって、人類は直接・間接に大きな影響を受けるようになるでしょう。
とくに神様と善霊の役事による感化を経験した人間は、
決定的な人格変化を起こすようになるでしょう。」と―
(「平和世界実現のために」2003/2/6)。

 実際、安永教会は、奇蹟のような聖霊体験―霊的体験にあふれている。
 こうした客観状況を見るにつけ、今後創建される「主の千年王国」(天一国)において、
「ヨハネ黙示録」が預言する「生き返って、キリストとともに(天一国を)支配する人々」とは、
他でもない―「神の言を伝えたために首を切られた」島原・天草キリシタンであり、
彼らが再臨協助して役事する教会―
熊本安永教会に集う地上人・食口たち(サンクチュアリアン)が―
日本国においては―嚆矢(こうし)であると、そのように言えるのではないだろうか。
 
 ■「キリストとともに」、殉教キリシタンとともにある安永教会
 2015年10月11日、これを裏付ける出来事(ニュース)が私の目に入ってきた。
米国サンクチュアリ教会本部に亨進様を訪ねた熊本安永教会(井上教会長)の姉妹に
真のお父様が霊的に現れ、共にいてくださったことである
(ブログ「三代王権・真の御父母様に帰ろう」―
「真のお父様が訪ねて下さいました。あるサンクチュアリアンの証、10月11日」)。

 それ以前、井上秀幸教会長は「天草のキリシタンとともに島原の殉教キリシタンたちを
サンクチュアリ教会、亨進様のもとに連れて行きたい」と10月1日、
原城―宮本家庭教会で彼らを動員するための「原城殉教キリシタン追慕礼式」を挙行された。

 そして、2015年10月11日、「アボニム(再臨主お父様)」が
「安永教会の、寝ている二人の姉妹の間に、静かに立っておられた」。
その意味するところは、単に二人の姉妹がそこに居ただけではなく、
安永教会の食口とともにサンクチュアリ教会に行った天草・島原の
「首を切られた」多くの殉教キリシタンたちも、そこに「キリストとともにいた」ことであった。

 この1ケ月ほどの間の、めまぐるしい出来事は何を意味するのだろうか。
十分に把握することは困難であるが、主の御言と聖書の預言、
島原・天草のキリシタン史と関連させながらこれを理解するとき、
神の摂理歴史の1頁を歩んでいる実感が確かにある。

 いま、島原・天草の殉教キリシタンたちは、
「生き返って」「再臨主とともにいる」!安永教会とともにいる!
―この事実を認識して、我らはこれから氏族的メシヤ活動、
家庭教会・天一国創建活動に取り組まねばならない。

2015年10月16日、島原家庭教会・宮本記
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