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主は誉むべきかな

昨日のブログを御覧になられた宮本さんから、
嬉しいメールが届きましたので、原文そのまま掲載致します。

以下、宮本さんからのメールです。


 「父さん、わたしもキリシタンを感じる!」
と妻が突然、言ってくるので、ビックリしました。昨晩のことです。
それまでキリシタンはもとより、神様も霊界も、
そして「御言」も―(恥ずかしい話ですが)―遠い存在で、ほとんど無関心でしたから。
自分から「御言を読みたくなった。」と言ったのも
(これもまた恥ずかしいことですが)初めてのことです。(内緒にしてください)

 「サタン教会にいて、一番頭の痛い問題を、事もなげに片付けてしまう。
神様の聖霊のみ業は、なんとすごいことであろう!」―然り、しかり、アージュです。

 それにしても、全国に山ほど食口はいるのに、
どうしてここ安永教会に聖霊の役事があるのだろうか?
ひとつには、我らの背景に天草・島原のキリシタン信仰(殉教)史があること。
ふたつには、キリストである「御言」を掴み、
「お父様」の実体復活体であられる亨進様をつかんでいることかな?。

 18日はお世話になりました。亨進様を近く親(ちか)く感じさせていただきました。
記念の「花束」が宮本家の祭壇にある〈奇蹟〉を見つつ、
「主がこんなにも近くにおられるとは」と、ベテルで神と誓いを交わしたヤコブのような思いに浸りました。

 主を慕いつつも主を泣かせ、祝福を受けながらも「罪の奴隷」意識を拭えず、
顔を上げることができなかった、ついこの間までの自分が、
どうして今、こんなに「自由」に、そして近く亨進様に侍ることができるのか、
自問しては親なる神の「不思議な配慮」を感じ、涙を禁じえません。
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