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彼らの額には

ヨハネの黙示録22章3節

のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、
御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。
夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。

22章12節

「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。
わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。
いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。
犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。


★ 黙示録、神様の復帰摂理の最終章を歩ませていただいていることを感謝します。そして、何より神様が願い続けてこられた神様の国、天一国創建の大役事に参加させていただいていることの恩寵に、また感謝します。


天聖経 P 808

 自然に向かい合う人は、宗教的な人です。宗教の世界は飾り気のない世界です。大地は、自然はうそをつきません。
 100パーセント私が努力すれば、そこに対する結果をもたらすのです。そこには投機性がありません。一攫千金がありません。また、そこには賭博性がありません。年齢が50になれば自然に帰り、自然の土とともに生きながら信仰生活をすれば、霊界に行く準備として、これ以上良いことはありません。(244-322,1993.3.1)

 先生は将来、ここに農場をつくり世界の食口を連れてこようと思います。皆さんが年を取って60歳、70歳 になれば、自然の中で万物を育てながら子供を育てる同じような心情を体恤し、神様の創造の心情圏を体恤するのです。そうしてから霊界に行けば、高い霊界に行くことができるのです。ですから統一教会で苦労した人は、 晩年に農場に連れていって別荘で自給自足させる計画なのです。それが理想郷です。先生は、そのような大きな構想をもっています。(246-216,1993.4.10)

 60を超えれば下野し、故郷の農村に帰って土地を耕し、霊界に行く準備をしなければなりませんが、その準備が忙しいのです。ですから精誠を尽くして先生のように農村に埋もれながら、農村を指導できる、このような責任を果たさなければなりません。
 ですから、趣味産業、趣味生活をやり終えて霊界に行ってこそ、高い霊界に行くことができ、情緒的な人になって霊界の舞台を活用できる皆さんとなるのです。どうですか。(289-193,1998.1.2)
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Author:やすなが0053
サンクチュアリ教会、熊本・安永家庭教会のブログです。
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