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神は自分のかたちに人を創造

創世記1章27節

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。
神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。


☀︎ 人が、何故造られたのか。また、どのように造られたのか。神様の天地創造の高らかな宣言から聖書は、始まります。
原理講論も、本体論も全てがここが出発点です。


天聖経 P 63

 宗教の中心とは何でしようか。神です。神様です。もちろん神様に対する名前はたくさんあ ります。しかし名前が問題ではありません。その神様は、二人になることができないのです。根源は一つなので、一つの神様です。一つの神様について話すとき、各国の言語が違うので一つの神様を表す名詞は違っていますが、その本体は一つなのです。(210-199,1990.12.23)

 天と地自体も、自ら存在したくて存在するようになったのではなく、必ず存在するようになった動機と根源を通じて、ある力の源泉に立脚して生まれたということを考えるとき、そこからさらにさかのぼり、必ず中心的な主体性を備えて天地を動かすとか、あるいはここに創造するという力の作用体がいなければならないのです。このような立場にいるその方を、私たちは「神様」と言いますが、民族が違い、言語が違うからといって、違う表現をするその名詞が問題ではありません。いずれにせよ、この宇宙の中に心がなければならないのです。その中心は全体、この存在世界において、存在が作用し移動するのに従って移動するのではなく、この動く相対的な世界の中心的において、億千万年動かない中心的な本体がなければならないのです。(154-298,1964.10.5)
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