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言は肉体となり、

ヨハネによる福音書1章

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

14節
そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。
ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った、「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。
わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。
律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。
神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。


☆ 12日のキングのリマでした。メシア、キリストの立場、価値に圧倒されます。イエス様そしてお父様。神様の解放のために、わたしたちの救いのために、歩んでくださいました。そして今なお導いてくださいます。生きて。


天聖経 P 1419

 神様が、愛を求めていく対象を造ろうとするとき、誰に似るように造るの でしようか。神様に似るように造るのです。その神様に似るように造るなら、神様の中にあるもののように男性の性稟(せいひん)がなければならず、女性の性稟がなければなりません。自分に似たので自分の本性相からすべて抜き出し、見えない性相、見えない考えの形態を実体として展開させたものが人間だというのです。ですから聖書の創世記に出てくる、神様が自分の形状のとおりに人間を創造したという言葉は、正しいのです。(170-167,1987.11.15)
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やすなが0053

Author:やすなが0053
サンクチュアリ教会、熊本・安永家庭教会のブログです。
主に証や活動報告をしていきます。

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