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沖縄の方へ

★ 今朝、訓読会の前に2度夢を見ました。2度とも沖縄の方で沖縄でお話ししていました。夢の詳細な内容は忘れてしまいましたが、お父様が沖縄で摂理を進めようとなさっているのを感じています。


エゼキエル書44章

こうして、彼はわたしを連れて、聖所の東に向いている外の門に帰ると、門は閉じてあった。
彼はわたしに言った、「この門は閉じたままにしておけ、開いてはならない。ここからだれもはいってはならない。イスラエルの神、主が、ここからはいったのだから、これは閉じたままにしておけ。
ただ君たる者だけが、この内に座し、主の前でパンを食し、門の廊を通ってはいり、またそこから外に出よ」。
彼はまたわたしを連れて、北の門の道から宮の前に行った。わたしが見ていると、見よ、主の栄光が主の宮に満ちた。わたしがひれ伏すと
主はわたしに言われた、「人の子よ、主の宮のすべてのおきてと、そのすべての規定とについて、わたしがあなたに告げるすべての事に心をとめ、目を注ぎ、耳を傾けよ。また宮にはいることを許されている者と、聖所にはいることのできない者とに心せよ。
また反逆の家であるイスラエルの家に言え。主なる神は、こう言われる、イスラエルの家よ、その憎むべきことをやめよ。


☆ 2日のエルダー本部長のリマでした。


天聖経 P 1409

 私がなぜ生まれ、なぜ生きなければならず、どこに行かなければならないのでしょうか。生まれたことを、皆さんが自分で生まれたと考えてはいけま せん。生まれはしましたが、どのよう な動機で生まれ、何のために生まれた か、私を生まれさせた動機と目的が分からない私たちです。
 生まれるには生まれましたが、私が生まれようとして生まれたのではなく、生きるには生きるのですが、私が生きようとして生きるのではなく、死ぬには死ぬのですが、私が死のうとして死ぬのではないというのです。ところで、私の何を誇るのでしょうか。自分自身が生まれようとして生まれることもで きず、自分自身のその何かをもって生きることもできず、死ぬ道を避けることもできない自分の何を誇ってみても、哀れで物悲しいだけです。生まれたので生きなければならない運命であり、またそのように生きていかざるを得ない運命です。(7-178,1959.9.6)

 今日まで哲学は、歴史時代を通じて人生問題を解決するために苦心してきました。真の人間の価値、人間がどのように完成することができ、人間自体から勝利して万宇宙に誇れる勝利の完成した姿を、いかに成し遂げるかという問題を中心として、数多くの哲人たちが現れ、苦心しながらありとあらゆる主張をしました。それが今となっては、人間を通じて思想体系を立てたすべての主義主張が、もはや実験をすべて終え、既に落第してしまったというのです。みな脱落してしまいました。(141-125,1986.2.20)

 なぜ人間が、このように特別することもなく生きながらも、死ぬことを嫌い、「なぜ生きるべきか。根源がどのようになっているのか」と、皆さん、疑問が多いでしょう。そのすべての疑問は、人間の哲学書籍を通しては解決できません。哲学というものは、今まで神様を探していく道を開発したものです。宗教とは何でしょうか。神様を知って、共に生きる生活から始めるのが宗教生活です。(186-12,1989.1.24)





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やすなが0053

Author:やすなが0053
サンクチュアリ教会、熊本・安永家庭教会のブログです。
主に証や活動報告をしていきます。

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