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患難をも喜んでいる

ローマ人への手紙5章3節
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 5:4忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 5:5そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。

☆ スイスでの二代王様のみ言
お父様は、艱難の中で喜びなさいといわれました。迫害の中で喜びなさいと。
なぜなら苦難は忍耐を生み、忍耐は辛抱強さを生みます。そして辛抱強さは希望を生むのです。苦しむ人たちはそれを学んでいるではないですか!それをリアルに肉を削るようにして代償を払いながら学んでいるのです。友人をすべて失くすかと思えば、いとこからは憎まれる。分かりますか。
しかしその苦難と忍耐と辛抱を通して、希望を学び、神様の愛を学んでいるのです。われわれが行かなければならない路程を通して。
あざけりと嘲笑、すべてを受けて。しかしそれこそが王国をつくるのです。


★ お父様,尊いみ言ありがとうございます!
沈んでいた魂が、息を吹き返します。そうです❗️そうでした!お父様の行かれた道,イエス様の行かれた道、その後を辿らせていただく道でした。感謝します。



天聖経 P 52
 今日、多くのキリスト教信者たちは、神様は唯一無二のお方であり、絶対的な方であり、創造主であり、至高至善の位置にいらっしやるので、被造人間、すなわち被造物と創造主は関係もち得ないと考えます。被造物は俗なるもの、創造主は絶対的で神聖な方であると見ます。しかし、愛の概念を中心として見る時、 至高至善の神様であり、どんなに低俗な被造物 であっても、愛の関係を結ぶためには人格的内容が同じでなければなりません。心情的内容が同じでなければなりません。人格を備えた人間と性稟(せいひん)が同じでなければならないのです。(138-245,1986.1.24)

 神様は、どのような神なのでしようか。人格的な神です。知情意を合わせた内容をもった人格的な神です。そのような人格的な神が最高に願うものが愛なので、その愛の対象として私たち人間を造ったというのです。
これは驚くべき事実です。(143-149,1986.3.17)

 神は第一原因的存在ですが、人間をどのように造ったのでしようか。神様と同じように造ったというのです。神様と同じように造るのに、神様の形状をかたどって、形状どおりに造りま した。その言葉は何を意味するかといえば、私が父に似ると同時に、父は誰に似ましたか。私に似たというのです。それで答えになります。 ですから神様を模索してみるとき、神様はどのような方ですか。「私のような方だ」と言えば、さっと入ってくるのです。(127-233,1983.5.15)


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Author:やすなが0053
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