記事一覧

2度目に現れて

ヘブル人への手紙9章28節
キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。

9章11節
しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、
かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。
もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、汚れた人たちの上にまきかけられて、肉体をきよめ聖別するとすれば、
永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。
それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。


☆ まさにキリストが2度目に現れる時こそ、救いの時です。イエス様は、洗礼を通して霊的救いの道を、わたしたちに与えてくださいました。とってもありがたいことです。
そして今、再臨のイエス様は、祝福を通してわたしたちに原罪からの解放の道を与えておられます。クリスチャンの皆様、今こそ救いを待ち望む人々の福音の時です。来たる2018年2月28日、神様はいまだかつて人類が体験したことのない大きな恵みを与えてくださいます。詳細についてお知りになりたい方は、お近くのサンクチュアリー教会にご連絡ください。


天聖経 P 63

 天と地自体も、自ら存在したくて存在するようになったのではなく、必ず存在するようになった動機と根源を通じて、ある力の源泉に立脚して生まれたということを考えるとき、そこからさらにさかのぼり、必ず中心的な主体性を備えて天地を動かすとか、あるいはここに創造するという力の作用体がいなければならないのです。このような立場にいるその方を、私たちは「神様」と言いますが、民族が違い、言語が違うからといって、違う表現をするその名詞が問題ではありません。いずれにせよ、この宇宙の中に心がなければならないのです。その中心は全体、この存在世界において、存在が作用し移動するのに従って移動するのではなく、この動く相対的な世界の中心的において、億千万年動かない中心的な本体がなければならないのです。(154-298,1964.10.5)


ランキングに参加しています。
よければクリックお願いします。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

やすなが0053

Author:やすなが0053
サンクチュアリ教会、熊本・安永家庭教会のブログです。
主に証や活動報告をしていきます。