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わたしは王である

ヨハネによる福音書18章35節
ピラトは答えた、「わたしはユダヤ人なのか。あなたの同族や祭司長たちが、あなたをわたしに引き渡したのだ。あなたは、いったい、何をしたのか」。
イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。
そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」。
ピラトはイエスに言った、「真理とは何か」。こう言って、彼はまたユダヤ人の所に出て行き、彼らに言った、「わたしには、この人になんの罪も見いだせない。


★ 昨夜のキングのリマ。裁判の時の様子です。イエス様は、十字架で死ぬために来られたのではなく、神様の王国を地上に創建するために来られました。だから、「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」と祈るように、弟子たちに指導されました。そのキリストの王国の統治が「鉄の杖」による統治。詩篇から始まって黙示録に至るまで、一貫して主は「鉄の杖」を持って支配する。と書かれています。それが謎でした。キリストの王国では、全ての市民が王と王妃です。だから、キリストは王たちと王妃たちの中心の位置に立たれるので、王の王となられます。その核が血統、神様の血統を相続する者、メシアとは神様の精子を有する者、だからイエス様はひとり子と呼ばれたのです。再臨主は、サタンの血統から神の血統への転換の道をひらいてくださいました。それが祝福です。王冠を被るのは、そのいただいた天の血統を感謝することであり、またその位置をしっかり確認することでもあり、責任を果たしていく決意の現れです。
「鉄の杖」が、銃である。とりわけAR-15。この宣布は、クリスチャンにとってどれ程の福音でしょうか。アメリカと世界中が、この宣布によって真っ二つです。左派は大慌てしています。自分たちのサタン的な支配構造と嘘が暴露され、奴隷であった市民たちが銃を手にし、主権を手にしたら、神様の王国が地上に顕現します。


平和神経 14
 神様は、愛の根であり、生命の根であり、血統の根であり、地上天国と天上天国の根です。堕落がなかったならば、アダムとエバが結婚する時、神様は、アダムとエバの心の中に入り、彼らと一体的愛を成し遂げられたことでしょう。神様は縦的な真の父母であり、アダムとエバは横的な真の父母になっていたことでしょう。そのような二つの父母の血肉を受けて生まれた人間の心は縦的な自分になり、体は横的な自分となって、一心、一体、一念、一和の人生を営むことができたでしょう。
 このように、神人愛の一体圏を形成することによって、心身一体を完成した者は、神様の息子、娘になるのです。神様の王子、王女になれば、神様と父子の関係となり、神様の全体を相続できるようになります。このような子女が、真の愛を中心として夫婦一体を完成すれば、神様に侍って暮らす家庭になり、その家庭は、平和と理想の基地になるのです。半分の男性と女性が一体になり、完全な神様の相対として、神様の理想的愛を完成させる基地になるということです。
 言い換えれば、真の愛を中心として、神様は、人間を無限の価値の存在として完成させることによって、神様も真の愛を完成し、永遠の理想愛が宿る創造理想世界を完成されるようになるという意味です。


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Author:やすなが0053
サンクチュアリ教会、熊本・安永家庭教会のブログです。
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