FC2ブログ

記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

サウルとダビデの違い

サムエル記上23章
23:1さて人々はダビデに告げて言った、「ペリシテびとがケイラを攻めて、打ち場の穀物をかすめています」。 23:2そこでダビデは主に問うて言った、「わたしが行って、このペリシテびとを撃ちましょうか」。主はダビデに言われた、「行ってペリシテびとを撃ち、ケイラを救いなさい」。 23:3しかしダビデの従者たちは彼に言った、「われわれは、ユダのここにおってさえ、恐れているのに、ましてケイラへ行って、ペリシテびとの軍に当ることができましょうか」。 23:4ダビデが重ねて主に問うたところ、主は彼に答えて言われた、「立って、ケイラへ下りなさい。わたしはペリシテびとをあなたの手に渡します」。 23:5ダビデとその従者たちはケイラへ行って、ペリシテびとと戦い、彼らの家畜を奪いとり、彼らを多く撃ち殺した。こうしてダビデはケイラの住民を救った。


★ この頃、ダビデは従う者600名とともに、生命をサウル王の軍勢に狙われていました。息をひそめて生きている状態でした。隠れ住んでいるのに、同族が外国の侵略にあって苦しんでいるとはいえ、自分たちが出て行って戦えば、サウル王の知るところとなり今度はこちらの身の上が危険です。と訴える従者たちのことばは至極妥当なものでした。
しかし、再び神様にダビデは問います。答えは同じでした。ダビデは神様に従いました。

★ 同じような事態がサウル王にもありました。
サムエル記上15章22節
「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、
燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。
見よ、従うことは犠牲にまさり、
聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
15:23そむくことは占いの罪に等しく、
強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。
あなたが主のことばを捨てたので、
主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。
15:24サウルはサムエルに言った、「わたしは主の命令とあなたの言葉にそむいて罪を犯しました。民を恐れて、その声に聞き従ったからです。 15:25どうぞ、今わたしの罪をゆるし、わたしと一緒に帰って、主を拝ませてください」。 15:26サムエルはサウルに言った、「あなたと一緒に帰りません。あなたが主の言葉を捨てたので、主もあなたを捨てて、イスラエルの王位から退けられたからです」。 15:27こうしてサムエルが去ろうとして身をかえした時、サウルがサムエルの上着のすそを捕えたので、それは裂けた。 15:28サムエルは彼に言った、「主はきょう、あなたからイスラエルの王国を裂き、もっと良いあなたの隣人に与えられた。 15:29またイスラエルの栄光は偽ることもなく、悔いることもない。彼は人ではないから悔いることはない」。 15:30サウルは言った、「わたしは罪を犯しましたが、どうぞ、民の長老たち、およびイスラエルの前で、わたしを尊び、わたしと一緒に帰って、あなたの神、主を拝ませてください」。 15:31そこでサムエルはサウルのあとについて帰った。そしてサウルは主を拝んだ。


★ このように、サウル王は、神様のみ言と民のことばとの狭間で民の言葉に従って、神様に背いてしまいました。サウル王もダビデもともに、神様を選ぶか人間を選ぶかの選択を迫られました。どちらを選択するのかが彼らの責任でした。2人はそれぞれが、別のものを選びました。
以下の聖句はさらに興味深いです。なにしろ神様を愛し、そのみ言を貴重視するダビデに対して、み言をもってこう聖書に書いてあると従者たちが、ダビデに決断を迫ります。


サムエル記上24章
24:1サウルがペリシテびとを追うことをやめて帰ってきたとき、人々は彼に告げて言った、「ダビデはエンゲデの野にいます」。 24:2そこでサウルは、全イスラエルから選んだ三千の人を率い、ダビデとその従者たちとを捜すため、「やぎの岩」の前へ出かけた。 24:3途中、羊のおりの所にきたが、そこに、ほら穴があり、サウルは足をおおうために、その中にはいった。その時、ダビデとその従者たちは、ほら穴の奥にいた。 24:4ダビデの従者たちは彼に言った、「主があなたに告げて、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。あなたは自分の良いと思うことを彼にすることができる』と言われた日がきたのです」。そこでダビデは立って、ひそかに、サウルの上着のすそを切った。 24:5しかし後になって、ダビデはサウルの上着のすそを切ったことに、心の責めを感じた。 24:6ダビデは従者たちに言った、「主が油を注がれたわが君に、わたしがこの事をするのを主は禁じられる。彼は主が油を注がれた者であるから、彼に敵して、わたしの手をのべるのは良くない」。 24:7ダビデはこれらの言葉をもって従者たちを差し止め、サウルを撃つことを許さなかった。サウルは立って、ほら穴を去り、道を進んだ。


★ この後、ダビデの行いにサウル王は屈服します。


天聖経P 123
 神様を心の中に迎え、私たち人間が体の立場で完全に一つとなれる起源をつくらなければ、この悪魔の世界を清算する道はありません。
 このような観点から、侍る時代、侍義の救援時代と考えるのです。侍ることによって救われるのです。神様はあの空中に遠く離れた神様ではありません。私たちの生活圏内の主体者としての神様に、侍らなければなりません。(144-274,1986.4.25)

ランキングに参加しています。
よければクリックお願いします。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

やすなが0053

Author:やすなが0053
サンクチュアリ教会、熊本・安永家庭教会のブログです。
主に証や活動報告をしていきます。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。